人生後半の挑戦(1)
人生後半の挑戦、伊能忠敬その素晴らしき人生。
千葉県九十九里浜町に日本で最初の日本地図を作成した伊能忠敬のの記念公園があります。記念館や生家は佐原市にあります。
九十九里浜は、全国一のいわしの水揚げ高を誇り「いわし博物館」もあります。「いわしも昔はよく採れましたが、最近はすっかり採れなくなりました」といわし料理専門店の方が嘆いていました。
また、九十九里浜は、沢口靖子演ずるNHK連続ドラマ「澪つくし」の舞台です。浜に出ると、風が強く砂塵を巻き上げ、顔に叩きつける、とても眼を開いていられない。遠く太平洋のうねりだけが勇壮にうごめいていました。
人生五十年といわれたこの時代、豪商として功なり名を遂げた男が、五十歳にして十九歳も年下の高橋至時の弟子となり、天文学、測量の勉強をはじめたのは、一体いかなる心境であったのだろうか?
忠敬五十六歳の時、幕府に願い出て北海道(蝦夷)の測量の許可を得る。その測量技術が認められ、今度は幕府の要請で日本全土の測量に着手、七十二歳で全国の測量を終え、これを214枚の地図「大図」「中図」「小図」として完成させるのである。しかも出来上がった地図は正確そのものだったというから驚きでした。なぜなら満足な測量機器もない時代、自分の歩幅を頼りに測量を行い、歩いた歩数は実に四千万歩、気の遠くなる話ではある。(この史実は四千万歩の男として井上ひさし氏の著書があります)
現在の千葉県山武郡にあたる上総国山辺郡小関村で生まれた伊能忠敬は、十八歳の時、下総国の名門地主である伊能家に養子として入籍した。伊能家を継いで、名主として手腕を振るい、地元住民の信頼を集めた。四十九歳の時、一転隠居すると、暦学、測量学を一心に学ぶのである。楽隠居が可能だった身分にありながらの転身である。何が彼をそうさせたのであろう、そのパワーの秘密はなんだろう。このような偉人を産んだ九十九里浜の風土に触れて見たくてここを訪れたのである。(続く)
※この旅行記は業界紙に発表したものです。人生後半の挑戦、そのことが私を引きつけました。