私たちの靖国神社
今日は12月8日、今から75年前の今日、日本軍の真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発しました。
このブログを読んでいただいた方の中にも、親族をこの太平洋戦争で亡くされた方もお見えになるでしょう、私もその一人です。「間違った戦争と」と言うのは負けたから言われることであって、いつの世も勝者は正義なのです。国に命を捧げた若者、戦死者を神として祀ることを他国からとやかく言われることはない、靖国神社は日本の文化なのです。
首相を始め政治家の靖国神社参拝は、東条英機元首相ら東京裁判で有罪となったA級戦犯14人が合祀されているため「戦争を美化」するとして、周辺国、特に中国、韓国から反発が強い。しかし、靖国神社参拝は、戦争を美化するのではなく不戦の誓いなのだ。この問題は日本人として断固たる態度で外国に対応していただきたいと思います。
遠く靖国神社の名前は、明治天皇が命名されたもので「国を穏やかにして平安に、いつでも平和な国につくりあげよう」というお気持ちが込められているのです。
いかなる理由があろうと、戦争はほんとうに悲しい出来事です。その時代に日本の独立が脅かされた時、国民のために命を捧げた若者に哀悼の念でお祀りする、靖国神社はそういった場所なのです。
私が訪れた時、ひとりの若者の遺書が靖国神社で公開されていました。これを読んだときしばらく涙が止まりませんでした。無念、残念、本当はもっと生きたかったでしょう。その思いを包み隠して遺書として綴る・・母もまた同じ思いだったに違いありません。
私の従弟も特攻隊員として沖縄の海に消えました、陸軍大尉でした。遺書はやはり靖国神社に所蔵されています。
ここに靖国神社で公開されていた若者の遺書を書きます。これは私が靖国神社を訪れた時に公開されていたものを書き写したものです。
世界のどこかでいつも戦争が起こっています。犠牲、悲しみにうち鬻がれるのはいつも女子供、戦争はしてはなりません。
母への最期の手紙(靖国神社蔵)
生をうけて二十有歳、やさしくも心正しき母の慈愛に育まれ
兄姉妹のご薫情に導かれ 健やかに長じたり
大命一度下るや畏くも陛下の赤子として輝く皇軍の一員と
なり、欣然誓って皇軍守護の御たてにつく、元より万死に一
生だに望まず、ただ男子の本懐に泣かんのみ・・
安倍首相が真珠湾を訪れる、オバマ大統領が広島を訪れた。これで日米が心から和解したとは思わぬが、歴史の記憶として語りつがれることでしょう。