心打たれた話

実際にあった苦学して先生になった方のお話しです。
小学生の頃、家が貧しく、家計を助けるため納豆を売り歩いていました。肩にかけた竹籠は、まだ30本近くの納豆が売れ残り、せめて後十本は売らないと仕入れの半分にもならない。そんな思いで売り歩いていましたが「いらないよ」と怒鳴られたり、犬にほえられたり、泣きながら途方に暮れていた時、ふと入った家が担任の先生の家だった。

日頃きびしい先生だけにびっくり、返事より先に大粒の涙が頬をぬらした。じっと見ていた先生は、奥に向かって奥さんに「おーいこの納豆全部買ってやっくれ!」と声をかけられる・・「泣くやつがあるか、そんな弱虫で納豆売りができるか、これから残ったら先生のところにもって来い、先生は納豆が大好きなんだぞ・・」そう言う先生の眼にも光るものが見えた。

それが苦学して先生になった原点だと言う。昔話と一笑に付されるかも知れませんが、今の世の中だからこそ、苦労がわかる立派な先生が必要なのです。その時の先生の温情が彼を教師の道に進ませた。

今、学校では、いじめが横行し、新聞には索漠とした記事が多い。豊かさと自由の中で何か大切なものが失われつつある。あたかも、太平洋戦争が始まって75年、終戦後70年余、一度あの困難な時代を振り返るのも無駄ではないような気がする


心打たれた話


 
この記事へのコメント
どんぐり70さん こんばんは☆彡

なんだか読んでるうちに目頭が熱くなり
ました。心温まる先生の体験談ですね。
戦後間もない時代は、貧しくて生きて
行くのにも必死だった事を母や伯父から
聞きました。隣近所の人と良い付き合いで
近所のおばさんに子守りをして貰った事を
覚えています。困った時はお互いさま。
助け合うのが当たり前の幼少期でした。
今は物にあふれ何不自由なく育ちますが、
隣の人はどんな人❓自分さえ良かれ
主義。人の心の傷みを分からない。
分かろうともしない自己中心的な考え
の人が多いと感じます。
いつの間に心が貧しい世の中になって
しまったのでしょうか。
Posted by シュリンプさくらシュリンプさくら at 2016年12月10日 00:53
  さくらさん、おはようございます。

いいお話ですよね!本人は最後まで生徒と接する先生でいたかったようですが、定年間際には管理職にさせられ、もっと生徒と一緒にいたかった、と嘆いていました。「子供の時の苦労、体験は人間をつくる」つくづくそんな感じを持ちました。
昨日のコメントで、私が、ひとには、忘れてはならないことと、忘れなければならないものとある、と申し上げましたが、自分にとっての思いで出、ほのかな愛情、感激した話などは終生忘れてはならないもののうちに入ります。この話も、私がずーと心に温めていたもので、忘れません。終戦直後はまさに激動の時代でした。
Posted by どんぐり70どんぐり70 at 2016年12月10日 05:42
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    コメント(2)