安倍総理の真珠湾訪問に思う
2016年12月28日06:21
今日、安倍総理が真珠湾を訪問して戦艦アリゾナの記念館で「和解と不戦の誓い」を述べる。今年5月オバマ大統領が広島の原爆記念館を訪問献花し、今回、安倍総理が真珠湾を訪問、献花して慰霊と和解を行なう、これをして太平洋戦争も開戦から75年を経て和解の時を迎える、歴史の区切り、そう考えたい・・
振り返って、この太平洋戦争は、本当に一方的にわが日本が開戦の責任を負うことでしょうか? 今回の和解に水を差すつもりはないが、ここに東条英機大将のお孫さんにあたる東条由布子さんの著書がある。私は東条由布子さんが愛知県幡豆町三ケ根山「ゆうとぴあ三ケ根」で慰霊活動をされていた際訪れいただいたものだが、それを読むと、東条英機大将は「私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します」と決して日本は侵略戦争をしたのではなく、自衛のための戦争だった、と東京裁判において主張し続けたという。
戦争とは、いつの世も勝者が正義。日本が平和になった現在、そして和解に動いている現在、それに水を差すつもりはないが、私たちの先人が日本を守るためとった行動だった、と知ることも無意味ではない、そう思うのだ。いずれにしても太平洋戦争を語れる人も少なくなった、近い将来、歴史の1ページとして語り継がれることになろう。

振り返って、この太平洋戦争は、本当に一方的にわが日本が開戦の責任を負うことでしょうか? 今回の和解に水を差すつもりはないが、ここに東条英機大将のお孫さんにあたる東条由布子さんの著書がある。私は東条由布子さんが愛知県幡豆町三ケ根山「ゆうとぴあ三ケ根」で慰霊活動をされていた際訪れいただいたものだが、それを読むと、東条英機大将は「私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します」と決して日本は侵略戦争をしたのではなく、自衛のための戦争だった、と東京裁判において主張し続けたという。
戦争とは、いつの世も勝者が正義。日本が平和になった現在、そして和解に動いている現在、それに水を差すつもりはないが、私たちの先人が日本を守るためとった行動だった、と知ることも無意味ではない、そう思うのだ。いずれにしても太平洋戦争を語れる人も少なくなった、近い将来、歴史の1ページとして語り継がれることになろう。

この記事へのコメント
どんぐり70さん おはようございます。
太平洋戦争を知らない世代が増えて語ぐ人も
少なくなりつつあります。
映画では一人の生き様にしぼりがちで本当の
事はクローズアップされていないのかも知れ
ません。
ドイツは、子供の頃からヒトラー政権の残虐
な行為、戦争のありのままを隠さず、授業の
時間を高学年になればなるほど長い時間を
かけて学ぶそうです。二度と同じ過ちを起こ
さない為に。日本は何か起こると目を閉じて
真実に封印してしまう傾向の様に感じます。
貴重なお話をまた教えてください。
ありがとうございました。
太平洋戦争を知らない世代が増えて語ぐ人も
少なくなりつつあります。
映画では一人の生き様にしぼりがちで本当の
事はクローズアップされていないのかも知れ
ません。
ドイツは、子供の頃からヒトラー政権の残虐
な行為、戦争のありのままを隠さず、授業の
時間を高学年になればなるほど長い時間を
かけて学ぶそうです。二度と同じ過ちを起こ
さない為に。日本は何か起こると目を閉じて
真実に封印してしまう傾向の様に感じます。
貴重なお話をまた教えてください。
ありがとうございました。
Posted by シュリンプさくら
at 2016年12月29日 06:20

さくらさん、おはようございます!
この日は、安倍総理が真珠湾を訪問していましたので、このようなブログを書いてみました。私も従弟のうち一人が、この太平洋戦争で沖縄の海に沈みました、特攻隊です。もう一人の従弟は、ゼロ戦の搭乗員ながら生き残り、戦後連れられて三ケ根山に行きました。主に南方で亡くなった方が祀られているその場所です。従弟とは大分歳が離れていたので、ただ聞いていただけすが、半年前に戦争が終結していれば、北方領土も取られることもなかったし、大勢の兵隊も死なずにすんだ、惜しいことをした・・と言っていました。戦争だけはしてはいけない、その通りです。だが、攻められて、殴られて、家族を殺されても、それでも黙っていられるものでしょうか・・それがこの太平洋戦争だった、という人もいます。
当時を語れる人も少なくなりました、戦争もやがて歴史の一ページになることでしょう。私は、今まで自分が聞いたこと、調べたことを、ブログにしようと思っただけなんです。間違っているかもしれません、ただ一人でも「そうだね」といってくれる人がいれば書いた甲斐があるというものです。
この日は、安倍総理が真珠湾を訪問していましたので、このようなブログを書いてみました。私も従弟のうち一人が、この太平洋戦争で沖縄の海に沈みました、特攻隊です。もう一人の従弟は、ゼロ戦の搭乗員ながら生き残り、戦後連れられて三ケ根山に行きました。主に南方で亡くなった方が祀られているその場所です。従弟とは大分歳が離れていたので、ただ聞いていただけすが、半年前に戦争が終結していれば、北方領土も取られることもなかったし、大勢の兵隊も死なずにすんだ、惜しいことをした・・と言っていました。戦争だけはしてはいけない、その通りです。だが、攻められて、殴られて、家族を殺されても、それでも黙っていられるものでしょうか・・それがこの太平洋戦争だった、という人もいます。
当時を語れる人も少なくなりました、戦争もやがて歴史の一ページになることでしょう。私は、今まで自分が聞いたこと、調べたことを、ブログにしようと思っただけなんです。間違っているかもしれません、ただ一人でも「そうだね」といってくれる人がいれば書いた甲斐があるというものです。
Posted by どんぐり70
at 2016年12月29日 08:38
