都鳥の吉兵衛の住居跡
2019年01月25日10:55
なにか面白い撮影ポイントはないかな?と、くるまを走らせていると、思いもかけぬ標識が眼についた。「都鳥吉兵衛住居跡」・・一瞬?・・となったが、そうだ浪曲師廣澤虎三の清水次郎長伝のうち「森の石松金毘羅代参」の一節、石松が都鳥三兄弟に惨殺されたことでも知られる。お~そうだ、その惨殺した張本人、都鳥一家はこんなところに住んでいたんだ、くるまを止めしばし見入った。
(あらすじ)ある雨の朝、早くから出かけた都鳥三兄弟、夕方に帰ってきて、火鉢の前で思案に暮れている。明日は浜松の伝馬町で国龍屋亀吉の花会があり、150両が必要、50両はできたが100両足りぬ、困っていると、きのうから居候して脇に酔っぱらった上大いびきをかいて寝ているやくざ仲間の次郎長一家の石松がいる。そうだ石松に借りよう、ということで石松を起こして頼み込む。ところが「ダメだこの金は明日親分のところに返す金だ」と取り合わない。それなら石松を殺してふんだくるしかたない、と大喧嘩がはじまるのだ。多勢に無勢、喧嘩の果てに石松が逃げ込んだ先が、清水一家の小松村七五郎宅、吉五郎は縁の下に石松を匿うが、元々男気にはやる石松は七五郎宅から出て傷ついたからだで都鳥一家と切り結ぶ。
その後、子分の石松を殺された清水次郎長に都鳥一家は仇をとられるのだ。わたしは、こんな都田の山の麓に「都鳥一家の住居跡」があるとは思いもよらなかった。やくざ者の争いで定かではないにしても歴史って面白いね。改めて石松を祀る森町大洞院にこの足で行ってきたよ。それに小松村の七五郎にちなんでいまでも「七五郎最中」が作られ売られているよ。わたしも買ってたべてみたが実においしい(笑い)わたしは、こんな話が大好きさ・・

(あらすじ)ある雨の朝、早くから出かけた都鳥三兄弟、夕方に帰ってきて、火鉢の前で思案に暮れている。明日は浜松の伝馬町で国龍屋亀吉の花会があり、150両が必要、50両はできたが100両足りぬ、困っていると、きのうから居候して脇に酔っぱらった上大いびきをかいて寝ているやくざ仲間の次郎長一家の石松がいる。そうだ石松に借りよう、ということで石松を起こして頼み込む。ところが「ダメだこの金は明日親分のところに返す金だ」と取り合わない。それなら石松を殺してふんだくるしかたない、と大喧嘩がはじまるのだ。多勢に無勢、喧嘩の果てに石松が逃げ込んだ先が、清水一家の小松村七五郎宅、吉五郎は縁の下に石松を匿うが、元々男気にはやる石松は七五郎宅から出て傷ついたからだで都鳥一家と切り結ぶ。
その後、子分の石松を殺された清水次郎長に都鳥一家は仇をとられるのだ。わたしは、こんな都田の山の麓に「都鳥一家の住居跡」があるとは思いもよらなかった。やくざ者の争いで定かではないにしても歴史って面白いね。改めて石松を祀る森町大洞院にこの足で行ってきたよ。それに小松村の七五郎にちなんでいまでも「七五郎最中」が作られ売られているよ。わたしも買ってたべてみたが実においしい(笑い)わたしは、こんな話が大好きさ・・
この記事へのコメント
昔、そんなことがあったのですね。
私は浜松市の生まれ育ちではないのですが、森の石松、清水の次郎長の名前は知ってましたが、その歴史のお話は知らなかったです。
その都鳥一家の住居跡って、こんな近くにあったなんて、ビックリでしたね。
住居跡の碑があるのもすごいですね。
私は浜松市の生まれ育ちではないのですが、森の石松、清水の次郎長の名前は知ってましたが、その歴史のお話は知らなかったです。
その都鳥一家の住居跡って、こんな近くにあったなんて、ビックリでしたね。
住居跡の碑があるのもすごいですね。
Posted by あい at 2019年01月26日 23:03
あいさん、おはようございます。
浪曲は日本の話芸で根強いファンがあります。最近は女子大学生の間でも「浪曲師」に
なり手が多くて・・と言っていました。一昨年直虎ブームに沸いたとき、大学を出たて
の女性浪曲師が浜松に来て一席、誘われて行きすっかりファンになりましたよ。
今度「七五郎最中」を差し上げましょう、今でも売っています。それで森の石松を匿っ
た小松村の七五郎を忍んで下さい(笑い)。あいさん、例え物語がやくざの世界であっ
てもそれを紐どくのは面白いですよ。森の石松の菩提寺、大洞院は紅葉の名所です、毎
年行きます。コメントありがとうね。
浪曲は日本の話芸で根強いファンがあります。最近は女子大学生の間でも「浪曲師」に
なり手が多くて・・と言っていました。一昨年直虎ブームに沸いたとき、大学を出たて
の女性浪曲師が浜松に来て一席、誘われて行きすっかりファンになりましたよ。
今度「七五郎最中」を差し上げましょう、今でも売っています。それで森の石松を匿っ
た小松村の七五郎を忍んで下さい(笑い)。あいさん、例え物語がやくざの世界であっ
てもそれを紐どくのは面白いですよ。森の石松の菩提寺、大洞院は紅葉の名所です、毎
年行きます。コメントありがとうね。
Posted by どんぐり70
at 2019年01月27日 07:07

平八稲荷の事を調べていたら近くに都鳥兵衛の屋敷跡を発見しなした。その後、森の石松の事を調べていたら、石松のお墓が新城富岡・洞雲寺にあるというので見に行って来ました。住職の奥さんに色々お話を聞かせて貰いました。それによると石松の生まれたのは富岡字堀切の父親が庄屋をしていて、火事を三回出しその時の火事で母親が焼死し家は没落。その後、父親が石松を連れて森町に炭焼きの仕事で来たそうです。こうも言っていました。石松が都鳥に襲われた時、最期に自分の腹を刺して自害したと、その時に一緒にいた弟・佐与が石松の遺体を馬で故郷の富岡まで運んで葬儀をしようとした所、村人達の反対にあい石松の首だけを埋葬してその上に自然石を置いたとの事。ある時、森の大洞院の住職が富岡の洞雲寺に怒鳴り込んで来たそうで住職は洞雲寺住職の話を聞いて納得して帰ったとの事。従って森町の石松のお墓は慰霊塔だと言ってました。
Posted by 松本 at 2024年09月08日 16:38